2016-01-01から1年間の記事一覧
「―――俺は7歳のときに心を殺した。上円井。今、俺は生きているか?」 高校を卒業したからして間もない内にこの町から去っていった親友の今泉が、冷たい瞳をしながら微笑んだ。 抑揚をつけない淡々とした喋りは、夕方頃の容姿の整ったアナウンサーが、凄惨な…
「……で、話は終わりだ」 テーブルの空のコップは、もう三杯目になっている。 全て、俺が飲み干したものだ。 今泉は、あたかも市役所の迷子放送みたいに、無感情の温かみの欠ける声で過去を語っていたが、ただ聞いてたまに相槌を打つだけの此方がやり場のない…
ある年若い美しい顔立ちの青年が、三鷹市から三鷹駅周辺のビル二階にある、あらしメンタルクリニックへ訪れていた。 受付を済ませ、空虚な心持ちのまま俯いていると 「隣、いいですか」 澄んだ茶色の瞳に鼻筋の通った高い鼻、潤いのないひび割れた唇、毛先の跳ね…
備え付けの黄色いカーテンが、春の柔らかい木漏れ日に照らされ、煌々と輝いている。 カーテンを開けると眩い光が射し込んできて、良照は思わず目蓋を閉じ、首を反らす。 まだ肌寒い外気だったが、快晴の空から降り注ぐ生暖かい日射しに、良照は春の訪れを感じて…
鈴音はイカを鉄板で挟んで圧縮したせんべいのように、潰れてぺっちゃんこの掛け布団の上で膝を崩し、頭をカクンカクンと前に倒している。 目を半分だけ開いて、口許をもごもごと動かし、頻りに瞬きをしており、いかにも眠たそうな仕草だ。 血色も良くない。 日…
買い物を終え、ワカバストアのビニール袋を片手に持った良照が帰宅した。 何度も何度も瞼が垂れ下がってきて良照を夢心地へ誘おうとするが、いつ壊れてもおかしくない赤錆色の手摺りに掴まりながら、ふらふらした足取りで薄汚れたコンクリートの階段を踏みつけ…
「あぁ……。良く寝たぁ」 寝起きと共に声が出るくらい、良照は久々に心地よい目覚めを迎えていた。 しかし意識はまだ半分眠っているようで頭が重い感じがする。 起きろ!起きろ! そう命令し、良照は無理矢理立ち上がった。 枕代わりにしていた痺れた腕に力を…
「いただきます」 当時五歳であった良照少年が平坦な声の調子で言い、箸を持ち上げる。 そんな少年の一挙手一投足を、母親の葉子の双眸(そうぼう)が捉えていた。 葉子のナイフの切っ先のように鋭利な眼光は、他ならぬ良照の首元に突き立てられている。 葉子の瞳…
意識を取り戻した良照は頭を抱え、部屋の隅っこで震えていた。 背中の凹みに温かい感触がする。 振り返ると―――鈴音が唇の端を上げ、軽い笑いを湛えていた。 部屋を見渡すと、いつも通りの最低限の生活必需品である布団にテーブル、タンスくらいしか目ぼしい…
ぽかぽかてんきの、なつのことです。 きからでるあまいみつを、たくさんのむしさんたちがすっていました。 くろとうすいきいろのはねのちょうちょさん。 そのよこには、ちゃいろのよろいをあたまとせなかにきた、かぶとむしくんとくわがたむしくん。 みんななか…
ギィィ……重たい鉄の扉が開かれる鈍い音にびっくりして目を覚ます。 いつの間にか寝入ってしまったようだ。 寝ぼけ眼をこすると、思わず卵を丸呑みにする大蛇のように大きく口を開けて、ふわぁ〜ぁと気の抜けるあくびをかいた。 寝足りない身体を何とか起こし…
僕が手を離すと、貴也はまた腕をだらんと垂らす。 と同時にうなだれ、まるで生気がなくなってしまったように全身を脱力していた。 呼吸を止めたまま、まばたき一つせず、ただただ一点を凝視している。 その様子から、人間味らしいものは一切感じられなかった…
翌日、僕は貴也の家に泊まる為、彼の住む寂れた団地が歩いていた。 周りには人っ子一人いない。 「貴也と一緒にくればよかったな」 僕の愚痴は反響することなく、虚空に消えていく。 正直、出来ることなら貴也の家にはいきたくなかった。 それは貴也が団地で暮ら…
帰宅すると、僕はいの一番に携帯の電源を点けた。 時代遅れの折り畳み式のガラケーであるが、最低限の機能は備えており、扱いやすいので僕はガラケーが好きだ。 電車に乗る際、優先席の近くに行ってしまうかも知れないから、その時に消してそのまま家に着く…
補習帰りの同校の生徒が、黒づくめのサラリーマンばかりの人ごみで、ぽつぽつ散見していた。 高校指定の制服は青地のブレザーで、かなり目立つ。 夏だというのに長袖を着せられて、見ているだけで暑くなってくる。 人が増え、様々な好奇の目が僕達を向けられ…
駅へ着くと、僕と貴也は改札口の真横に設置されている公衆電話の元へ向かった。 公衆電話は構内にあるからか、長方形のガラス張りの空間にはなく、剥き出しのままで、台には分厚くしわくちゃなハローページが置かれている。 「ほんとに花子さんなんか出るの…
「かけてはいけない電話番号って知ってるか?」 友達の貴也(たかなり)が、目を見開き、薄い笑みを浮かべながら、内緒話でもするように、小さな声で喋り始めた。 夏休みの補習終わり、夕方の時分のことだった。 正直、貴也から聞かされる話はヤオイ(山なし、…