良照と里鈴書き直し SURVIVOR 魂の殺害 第六話 虐待

「いただきます」
当時五歳であった良照少年が平坦な声の調子で言い、箸を持ち上げる。
そんな少年の一挙手一投足を、母親の葉子の双眸(そうぼう)が捉えていた。
葉子のナイフの切っ先のように鋭利な眼光は、他ならぬ良照の首元に突き立てられている。
葉子の瞳に見据えられると良照は心を凍らせた。
心が冷たくなればなるほど、身を裂くような痛みに愚鈍になっていき苦しまずに済んだ。
―――少年は生きる為に心を殺さねばならなかった。
良照は背中をシールのようにペタッと椅子に貼り付け、お椀に一杯に盛られた白米を一つまみ、煮汁がたっぷりとかかった柔らかいサバの味噌煮を一つまみと順々に口へ運んで咀嚼し、吸い物で口の中のものを胃に流し込んでいく。
沸いたばかりの湯を入れた吸い物は湯気が立っていて、思わずあついっと声を漏ら出てしまう。
慌てて吸い物をテーブルに戻して箸をお椀の縁に置くと、箸はコロコロコロと転がっていき落ちていった。
そんな良照を葉子が軽蔑を含んだ目で睨み付けると、良照は澄んだ琥珀色の眼球を潤ませて言葉にならない抵抗を示した。
しかし、葉子にその心の言葉は届かなかった。
「良照!食事中に喋ったらダメだっていってるでしょう!それに箸を落とさないの!なんでアンタは分からないの!」
葉子の怒声が部屋中にこだまする。
良照はびくりと肩を震わせた。
葉子が起つと眉間に深い皺を刻み、目を吊り上げて口を大きく開いた憤怒の表情を浮かべて良照を見下ろした。
良照はその姿を、幼い頃に見た新薬師寺薬師如来を守護する十二神将の武神である、伐折羅大将(バサラだいしょう)を重ね合わせていた。
葉子が良照の後頭部を掴むと、良照の頭皮に鋭い痛みが走る。
そのままぐいっと力任せに押すと良照は上を見上げる体勢になり、まじまじと母親と見つめ合う。
「生まれてこなければよかったのに」
葉子が良照へ呪詛を吐き捨てると、メンコをぶつけあって遊ぶみたいに、思いっきりフローリングに叩きつけた。
硬い床に打ち付けられると身体はゴム鞠のように跳ね、骨に直接ずきずきと響く鈍痛が電流が流れたような痺れと共に全身に駆け巡っていた。
良照が仰向けになっていると葉子はドカドカと床を踏み鳴らし、食事前に台を拭いた布巾を取ってくると、テーブルを拭いてからさほど時間が経っていない布巾をムチを振るうみたく何度も何度も振り下ろす。
これから何が行われるのか察した良照は目を瞑る。
瞼を閉じても目映ゆい白の光を感じ、良照は一層強く目を堅く閉じた。
良照は暗闇で、ペタペタと床を這うように歩く微かな足音を聞き取っていた。
「反省してる?」
恐怖からか良照がそのままの格好でうんうんと頷いた。
「そうなの。悪いことをしたらちゃんと罰を受けないといけないわ。わかるわよね」
無機質な声がした。
「本当にダメな子どもね!」
「なんでっ、私のっ、言う通りに、できないのよっ!」
「出来損ない!クズ!なんで生まれてきたの!」
「死ねっ、死んでよ!」
罵倒の言葉を次々に浴びせかける。
水を吸った台拭きは重く、空を切るように振るわれたそれは、良照をいとも容易く捩じ伏せた。
衝撃が加わる度に腹の中の内容物が暴れ回り、酸が悪臭と一緒になって喉へ襲いかかる。
ついに耐えきれずひっくり返って床に手を付き、オエェッと胃酸で黄色く濁ったお粥のようになった吐瀉物ををぶちまけた。
「汚い子ねぇ、掃除しなさい」
良照は考えた。
なぜ僕は台吹きで殴られるのだろう。
なぜ僕は悪口を言われるのだろう。
なぜ僕は……なぜ僕は……。
次々に疑問が浮かんだ。
しかし良照の心の中の母親が、「お前が私の言うことを聞けないからだ」とすぐさま返事する。
お母さんが言うんだからそうなんだ、そうに違いない。
沸き上がる疑問を、片っ端から心の奥深くに押し込めた。
全部僕が悪いのだ。
全部僕が悪い子だから、起こったことなんだ。