SURVIVOR 魂の殺害 エピローグⅠ

「―――俺は7歳のときに心を殺した。上円井。今、俺は生きているか?」
高校を卒業したからして間もない内にこの町から去っていった親友の今泉が、冷たい瞳をしながら微笑んだ。
抑揚をつけない淡々とした喋りは、夕方頃の容姿の整ったアナウンサーが、凄惨な事件や事故の概要を感情を加えずに語っているようだったが、それは傍から見ると冷酷に見えるものだ。
今泉の冷酷さは、他の誰でもない自分自身に向けられている。
自らの存在を客観視し、こうまで冷酷に己を罰することが出来るのか。
その言葉から思想や哲学という血肉が、肉付けされていない安っぽさを感じなかった。
今泉がかねてより考えて考えて考え抜いた末、結論を出せずにいる負の人生論と呼べるものだった。
情けないことに、俺は励ますことも否定することも出来なかった。
けれど指は自然と動いて、メニューに描かれたフォッカチャというナンの生地のような食べ物や、平べったいピザやらに目が逸れる。
「ああ、食欲ないから先に選んでいいよ」
ただ出来たのは取り留めのない会話で誤魔化すことぐらいだった。
メニューを手渡すと、今泉はメニューと俺を交互に眺めながら喋り続けた。
「悪い、ヘンなこといって」
「いや、俺の方こそ悪い。うまく返事……できなくて、さ」
言い出しづらく、所々詰まりながらも何とか言葉を繋ぎ合わせていくと
「いいよ、気にしないで」
今泉はキツネのお面みたいに、口角の吊り上がった薄い笑みを零した。
「俺が悪いから気にしなくていいよ」
と、気の利いた台詞の一つでもいいたかったが、今泉の張り付いたような笑顔にまたしても俺は言葉を失っていた。
子どもの頃から、今泉はこんな表情ばかり浮かべていた気がする。
ああ、そうだ。
十年以上もずっと一緒にいたんだった。
「あんまり変わってなくて安心したよ」
遠い昔を懐かしむと、自然と親友らしい言葉が口に出た。
「そうかな」
かつては猫のような大きなつり目、小じんまりした鼻、みずみずしい薄い唇で憎らしいほど中性的な顔だったが、寝不足なのか目の下にクマができていて貧相な見た目になっている。
「注文はまだいいかな。あぁ、ハァ……」
今泉は頭が痛いのかメニューを横に除けると、前のめりでテーブルに膝を付いて両手で頭を挟み込むと万力のように締め上げ、声を押し殺していた。
眉間に皺を幾つも刻まれ、呼吸が乱れている。
明らかに具合が悪そうだった。
「無理しないでいいよ。次に会ったとき話せばいいだろう」
肩に手を置き、声を掛けた。
「大丈夫。少し待ってくれれば……良くなるよ」
今泉はなんでもないとでもいう風に顔を上げ、背筋を伸ばした。
卵を飲み込む蛇のように大袈裟に口を開くと、少しづつ苦悶の表情は和らいでいった。
「で、昔と比べて変わってないか」
頭を抱え、今泉が訊ねてくる。
「いや、変わった。変わったよ」
スゥと一呼吸置くと俺は立て続けに
「でも、今の方が自然体に見える」
と、発していた。
自分でも何故こんな言葉が出たのか分からない。
いや、長年の勘というやつで、筋道の通った論拠はないのかも知れない。
とにかくそう思って、口をついた。
暫しの間、静寂が広がる。
耐え切れなくなって、俺はガムシロと砂糖を注ぎ入れ、真っ黒な液体を綺麗な茶色になる迄、細かく砕けた氷をガシャガシャと掻き鳴らしながら、重い沈黙を壊していた。
「ああ、少し自然体になれたよ」
「やっぱり。いきなり居なくなって心配したよ。何もなければいいんだけど」
友達としてだろうか。
今泉とは色々な思い出が有る。
もう絶交だと、声を荒げてしまったりもした。
今でも、今泉への同情や親愛の心の底に、許せないという心暗さが沈殿している。
だからこれは老婆心のようなものに相違ない。
「いや、有ったよ。色々」
心臓をわしづかみにされた気がした。
俺はゴクリと唾を飲んだ。
今泉は色々と言った際に相好を崩していたが、その表情は楽しげと呼べるものではなく、眼には一点の光すら射していなかった。
その眼はそっくりそのまま、今泉の人生を投影していた。
そして感づく。
五年振りに俺の元に訪ねてきた理由が。
大口を開けて一気にコーヒーを飲み干す。
爽やかな苦みが喉を潤してくれる。
「もったいぶらずないでいいよ。話したいことあるんだろう」
空になったコップをテーブルに叩きつけ、俺は今泉に視線を向けた。