ファンタジー小説「迫害されし冒険者たち」 第九話 

リチャードはタロットカードの隠者のようにうつむきながら、カンテラの弱々しい光だけを頼りに歩を進めていく。
空は赤と黒に塗り潰され、野獣が夜の訪れを告げているように鳴いている。
狼が現れて襲い掛かってはこないだろうか。
生き物が吠える度に、横目でチラチラと風に揺らされる木々に目を遣った。
「なに、急に……」
突然ヘンリーの横にいたシェリルが、彼の腕に抱きつく。
「怖いの?」
シェリルはヘンリーの言葉に、首を縦に振った。
「俺も怖いから、しっかり掴まってて」
リチャードは昼間と違い、親密な様子を見せてもからかいはしなかった。
日中途切れ途切れだった三人の口数は、夜闇が濃くなるにつれ増えていった。
「なんか、かわいそうなことしちゃったな。とっさに身体が動いちゃったけど」
シェリルの肘鉄で、死亡したコボルトのことを思い返した。
結局、道中現れたモンスターは、あの一体のみであった。
戦闘の最中には『可哀想だから殺しはいけない』という甘い倫理感は吹き飛んでいたが、自分の手で突き刺し、槍の一撃を貰ったモンスターが苦悶しながら絶命する際には、ヘンリーにも幾ばくかの罪悪感と同情心が沸き上がった。
「けど、私たちは戦うことが生業だから。快楽目的で殺戮するのとは別でしょう、ヘンリー。あのまま何もしなかったら、この場に立っていられなかったかもしれない」
シェリルは諭した。
外れていたら、あのコボルトは自分に襲い掛かってきただろう。
もしそうなっていれば、返しの反撃で致命傷を負っていたかもしれない。
自分に害為すものを救うのであれば、即ち自分の命を天秤に掛ける覚悟が必要だ。
「そうだ。金持ちの道楽みてぇに殺してるわけじゃねぇ。必要に駆られて淡々と処理する……。それだけさ」
リチャードも、彼女の言葉に同意した。
『必要以上に殺さない』。
野生動物のような生き様が、彼の信条なのだろうか。
「そう簡単に割り切れそうにないな……。けど、やっぱり一番対処に慣れてるのは、リチャードだったね」
「ん、ああ。まぁ、モンスターに加減してちゃ、いつ亡くなってもおかしくないからな」
話を振られたリチャードが言った。
「モンスターに対して、上手く立ち回れるようなコツとかないかなぁ……」
恐る恐る訊ねた。
声を張り上げて自らを鼓舞したが、いつまでも通用しないだろう。
手の震えや、手汗で滑って、持った武器がすっぽ抜けてしまうかもしれない。
不安の種は尽きない。
「慣れだよ、慣れ。場数を踏めば人型モンスターと同じように、人間に対しても手を下せるようになるさ」
あまりにそっけない態度で、人殺しを示唆するような言葉を 驚きを隠せなかった。
日常的に殺しをしていないと、晩飯の献立を聞くような軽い口振りで語ることはできないだろう。
「ねぇ、人を殺したことがあるの?」
リチャードは歩みを止めた。
「だったらなんだ?」
そういって、リチャードは後ろへ振り返った。
眼光鋭い眼は、口にせずとも 肯定の意を示しているように見えた。
目の前の男は、人を殺したことがあるのだ。
迂闊な発言は、彼を刺激してしまう。
恐怖し、ヘンリーの腕がブルブル震えるが、それに気がついたシェリルは何を言うでもなくニンマリと笑んだ。
安心させようとしてくれている。
何より、その気持ちが嬉しかった。
ありがとうの心を込め、彼はぎこちない笑顔で返した。
会話などなくとも、二人は深い絆で繋がっていた。
よし、聞こう。
決心したヘンリーが生唾を呑み込み、言葉を続ける。
「成り行きでしょうがなく、だよね」
腫物を触るように尋ねた。
ぶっきらぼうで他人に自分の 立ち寄らせない接し方ではある。
しかし、花の効能を親切に教えてくれたりした彼が、根っからの悪人とはヘンリーには思えなかった。
リチャードは目線を逸らすと、正面に向き直す。
「ああ。ダンジョン内の敵はモンスターだけじゃあない。不慣れな新米冒険者から金品を奪おうとする、悪に堕ちた冒険者がうじゃうじゃいるんだ。人に対しては無抵抗主義……なんて、貫けると思うなよ」
突き放したように彼は喋り掛ける。
「……」
武器を手にしながら使わずに死を選ぶほど、お人よしでもない。
危険が迫れば、きっと昼間のように力を揮うだろう。
自分も、彼と同じように人を殺めるかもしれないのだ。
彼は明日の自分なのだ。
冒険ものの伝記や英雄譚で、見聞きしたことはある。
けれど物語の生き死には、読んだ者に爪痕を残そうと極端に脚色が施されるため、、遠い絵空事、空想の世界にしかないことだと。
腹が減ったら食べて、眠たくなれば床へつくが如く、当たり前のように人は死んでいくのだ。
感傷に浸っていたら、身が持たないのだ。
暫しの間、三人に重い沈黙が流れた。
「生まれた環境によって違うんだろう。俺は物心ついた頃から、死体なんてモンは見慣れてきたからな。それでも自分自身で殺すのは罪悪感があったがね」
刺々しい口調だが、嘘をついているようには思えなかった。
むしろ、人を殺めたことで噴出した激しい感情を、第三者が体験した出来事であるかのように語ることで、平静さを取り戻そうとしているように見えた。
もしくは、そういったならず者たちを相手にしすぎて感覚がマヒしているのか。
いずれにせよ今の自分には理解不可能な、彼なりの苦悩があったのだろう。
「……ごめんな。変なこと聞いちゃって」
「……フン、因果な商売だよ。冒険者ってのは」
風が吹けば消えいってしまいそうな声量で、リチャードが呟いた。
「しかし強いな。お前ら、新米のくせに」
おだてではなく、彼の偽らざる本心だった。
背丈が自分より一回り二回り小さい少年が、自身よりも大きい得物を自由自在に操って、挙句モンスターに致命傷を負わせることが、リチャードにはにわかに信じられなかったのである。
基本的に対人との戦闘術しか学ばない冒険者は、モンスターと対峙すると物怖じしてしまい、役に立たないことが日常茶飯事なのだ。
温室育ちのルクス出身者ではないらしい彼らは、どこかで特殊な戦闘訓練を積んでいるのだろうか。
俄然興味の湧いたリチャードは、二人に聞いた。
「もしかして、モンスターと遭遇することに慣れているのか? 」
種族ごとの差異はあるものの、基本的にモンスターの多い地で生まれた冒険者や兵ほど、屈強な傾向にあった。
実戦が一番の経験ということだろう。
「うん、そうだよ。モンスターが畑を害することが多くて」
突然の質問に、目をぱちくりさせながらも、ヘンリーが答える。
「そうそう、二人で協力して追っ払ってたんだよね〜。ジャガイモ食べに、色んなモンスターがやってきてさぁ。家族総出で、大変だったよね〜」
顔を合わせて、二人が言った。
となれば、近い場所で、暮らしていた幼馴染なんだろうか。
「そうか。お前たち、似たような場所で暮らしていたんだな」
リチャードは相槌を打ちつつ、探りを入れた。
「いや、同じ家で生活してたんだよ」
予想だにしなかった答えだった。
ただ、同じ家で暮らしていたとなれば、自ずと関係は限られる。
「実の姉弟なのか? 通りで……」
ただ血が繋がった姉弟であれば、わざわざこんな曖昧に言わず、実の姉と言えば済む話だ。
何かが怪しい。
腑に落ちないと思いながらも両腕を交差させ、リチャードは納得した振りをして、うんうん頷いた。
「違うよ。俺の……。いや、何でもない」
途中までいうと、一瞬驚いたネコのように大きく口を開いてから、口を真一文字に閉じた。
言いたくないのであろうことは、リチャードも察していた。
しかし、好奇心が勝った。
行ってはいけない場所ほど行きたくなるように、人の秘密を知ることは、他人が知らないことを知っているという優越感を味わえるからだ。
「ヘンリー、実の両親はいないのか? そこまで喋っておいて誤魔化すのか」
リチャードは詰め寄った。
「だって、陰気臭い話になっちゃうし……。リチャードだって聞かれたくない話の、一つや二つあるだろう?」
この話の流れだと、自分の隠し事を追及されるやもしれない。
それになぜ、新米の冒険者に入れ込もうとしているのだ。
親しくなる必要もない。
「そうだな。余計な詮索をしてすまなかった」
はっと我に返ったリチャードは、頭を深く下げて謝罪した。
「ハハハ。話はもう終わり、早く先に進もう」
ヘンリーは半ば強引に話を終わらせると、質問を締め切った。