ファンタジー小説「迫害されし冒険者たち」 第七話

用事を終えた一行は街を出て、ルクス大公国の南西にある洞窟に向かっていった。
石ころ一つ見当たらない、湿潤な土壌の平坦な一本道が続いていた。
辺りは閑静で、人影すら見当たらない。
道の両端には、樹齢の低い細長い木々が鬱蒼と生い茂るブナ林。
細い枝からは濃緑(こみどり)の葉っぱが、空を覆い隠すように伸びている。
それゆえ林は、朝でも日暮れのように薄暗かった。
ヘンリーはその林を見て、パスタの麺を思い浮かべていた。
幹の太い木は、冬の謝肉祭前に食べるソーセージだ。
気が狂いそうになる殺人的な暑さ。
フェイスラインを伝う汗を拭くことすら馬鹿らしくなり、妄想で気を紛らわせていた。
「おい、お前ら生きてるか〜。昔、国ぐるみで洞窟から『マギアアイト』という鉱石を採取した際に道が整備されたんだ。ルクスでは、『マギアアイト洞窟』なんて呼ばれたりもしてるぞ」
先導したリチャードは黙り込む2人に気を利かせて、案内しながら、歩を進めていく。
「あ゙づい……」
「ハァハァ……。ふぅん、そうなんだ」
興味なさそうに、シェリルがうつむきつつ呟いた。
呼吸は荒く、話すことすら億劫そうで、言外に「喋りたくない」と言いたげだった。
ヘンリーはそっぽを向いていて、聞いているのか聞いていないのかすら分からない。
貰った金額分だけ働くつもりだったが、余計なお世話だった。
なら、伝えるべきことだけ伝えればいい。
「これだけは言っておくぞ。絶対に道を外れるなよ。バカでかい昆虫やら、野生のイノブタがうろちょろしていて危険だからな。この付近で不可解な遠吠えを聞いたという連中もいるし……」
リチャードは苛立ちを覚えながらも、注意した。
樹林は人間たちにとって畏怖の対象で、何より昔から折り合いが悪いエルフが暮らす場所である。
ワービーストやフェアリーなど、人間に対して友好的な種族もいるものの、秋以外は冒険者たちや業者などの一部の人間しか出入りしない。
木の実が実った秋にしか林に立ち寄らない理由は、家畜のブタに栄養豊富な種実(しゅじつ)を食べさせるためだ。
ブタといっても茶褐色の体毛が全身にびっしり生え、下の歯は弓の弦のように湾曲した大きな2本の牙があり、今でいうイノシシのような姿をしている。
「えっ! こ、昆虫?! うん、絶対行かない」
上擦った声でシェリルが言うと、木の葉がざわざわと揺れた。
「なんだぁ。お前さんは虫が苦手なのかい」
予期せぬ彼女の怯えように、リチャードがニヤニヤと笑った。
彼の嫌らしい顔立ちに、プンプン怒りながら、先ほどまでの元気のなさが嘘のように彼女は喋りだした。
「羽音を聞くと、耳がゾワゾワってするもの。それにそれに、殴るとモンスターの体液で手が汚れちゃうし。それからそれから……」
シェリルは、次から次に昆虫の嫌いな所を語っていった。
二つ、三つくらいでは、到底収まりそうもない。
「ハハッ。じゃあ、ちゃんとはぐれないようにしないとな」
さっさと話を終わらせるため、リチャードは強引に割り込んだ。
「大丈夫だってぇ。昆虫型モンスターは、シェリルの代わりに俺が倒すからさ」
ヘンリーは任せろと言わんばかりに、自分の胸を叩く。
ガシャガシャと鼓膜に響く、やかましい金属音が鳴った。
「ありがとう、ウィル。大好きぃ〜」
シェリルは、ヘンリーの頭に顎を擦り付けて抱きついた。
「暑苦しいから離れろよ〜、もう」
彼の表情は、至って穏やかだった。
心底嫌な相手にはできない、そんな表情だった。
二人はちょうど頭一つ分くらいの身長差があり、傍から見ると、年の離れていない姉と弟のようだ。
同じくらいの年の頃、自分とベラも周囲には同じように見えたのかもしれない。
小さい頃から色々あった。
相手を傷つけても謝らず、なあなあにして、喧嘩したことすらなかったことにして。
けれど、昨日は泣かせてしまった。
ちゃんとアイツに謝罪しないといけない。
「嬢ちゃん。さっきまでと比べると、ずいぶん話し方が柔らかくなったなぁ」
何故喧嘩腰だったのか、不思議でならなかったのだ。
「だって、絡まれたら嫌だもの。自分の身は自分で守らなくちゃ。ウィルに迷惑掛けたくないし」
刺々しく他人を寄せ付けない口調は、本当の自分を隠すための仮面だったのか。
あからさまに怪しい格好をしていたせいで、酔っ払いというタチの悪い敵を作ってしまっていたが、とりあえず害意はなさそうだ。
年相応の女の子だ。
彼は、ほっと肩を撫で下ろした
リチャードは、魔女だなんだとレッテルを貼っていた自分を恥じた。
シェリルは強いから、迷惑なんかじゃないよ。それはそうと、不可解な遠吠えってなんだ」
「最近、ここ周辺で聞こえるようになったらしくてな。夜な夜な、化け物が鳴いているんだとよ」
ヘンリーには、それがおかしいのか分からなかった。
オオカミ、フクロウ、ネコ。
夜行性の生物は、いくらでも思い当たる。
それに貨物などに紛れ込んだ新種の生物が、入り込んだだけかもしれない。
「それくらい、普通じゃないか」
細まった目で見つめながら、ヘンリーがリチャードに返事した。
「そうなんだよ。口頭で伝えようとすると、そんなのは普通だと否定されるんだ。だが、耳にした連中は恐ろしげに、その夜のことを語るがね。獣とも人間ともつかない、その鳴き声のことをな」
ヘンリーの言葉を予測していたかのように、リチャードは即座に返す。
「信じられないな」
神妙な面持ちで、ヘンリーは返事した。
「ま、俺は聞いたことがないから、実際に起こったことかは知らねえんだけど。悪ぃな。こんな話してよ」
頬を膨らませて、リチャードは相好を緩ませて、冗談めかして話した。
話題に困って、ウソで場を取り繕おうとしたのだろうか。
ヘンリーには、リチャードの言葉が真実なのか判断しかねた。
「それはそうと、ここらはモンスターが居ないんだな。住み心地がよさそうだ」
ヘンリーが周囲を見渡した。
「当たり前だろう、都市の近くなんだ。冒険者は勿論のこと商人も行き来するから、ほとんど現れないぞ」
リチャードが得意満面な笑みを浮かべ、まるで自分の身内を褒めるときのように誇らしげだ。
「ここだと、割のいいモンスター討伐の仕事はなさそうだなぁ、さっきのは花摘みの依頼だったし」
この小僧、案外鋭い。
リチャードは、自分の心を見透かすかのような台詞に、冷や汗をかいた。
「お前さんの言う通り、採取の依頼や素材探しの依頼しかないぞ。平和すぎて、食い扶持に困ってんだよなぁ。」
腹を抱えてケラケラ笑いながら、リチャードは自嘲する。
笑い話にすれば、あまり深く追及してこないだろうという打算があった。
「それで、やっていけてるか?」
リチャードの予想を裏切り、ヘンリーは真面目に答えた。
その態度に誤魔化して話をすり替えたり、笑い話にするのは失礼な気がして、同じ熱量でもって彼はぼそりと重い口を開いた。
「やってけるわけねぇだろうが。食っていけるのは、洞窟最深部に潜れる冒険者たちだけさ」
昨晩のベラとの苦々しい一幕が、彼の脳内に蘇っていく。
「そうか、色々大変なんだな……」
何かを察したのか、それだけいうと、ヘンリーは黙り込んだ。
リチャードも自分の心の内を悟られてしまいそうで、自制した。
その直後、ガサガサガサ……。
林一面に敷かれた落ち葉を踏みしめる音がした。
「グルルル……」
地を這うような低い唸りに、彼らは後ろへ振り返った。