恋愛・青春小説 「PIKE START」 空の花 地上の花 その1

八月下旬の午後5時45分頃。
地元で催される夏祭りにわっつんと小早川を誘い、二人が訪れるのを駅の構内で待っていた。
射的、金魚すくい、カキ氷、りんご飴、わたがし、焼きそば、タコ焼き、焼き鳥etc。
おおよそ夏祭りと聞いて連想する屋台は、だいたい出揃っている。
その上、今年は市制施行50周年記念で、夜の7時から8時15分まで、8000発もの花火が打ち上がるのだ。
構内は、帰宅ラッシュのサラリーマンでごった返している。
学校帰りに、うんざりするほど見ている光景だ。、
ほとんどのサラリーマンはスーツを片手に、涼しげなTシャツで歩いていたが、中には羽織ったまま帰路につく人も見受けられた。
スーツを脱ぐと、与えられた職務と社会的な役割までないがしろにしてしまいそうだから、乱さずに衣服を着用することで自分を律しているのかもしれない。
よく日本の電車は原子時計のように精確だと称される。
時間厳守で毎日決まった時刻に出社、退社を繰り返す彼らも、同じように精確だった。
しかし、見ているだけで暑苦しい格好だ。
なんだか身体が暖まってきたように感じる。
薄手のジャンパーに手を掛けたその時。ポケットに入れたスマホが振動した。
you've got mail、you've got mail。
スマホを開くと、外国人男性の低い声で、繰り返し音声が流れてくる。 
以前使っていたガラケーは、初期設定の着信音がyou've got mailだったので、乗り換えてから、すぐにこの音声を落とした。
シンプルだが、こういった大勢の人が集まる場所でも気恥ずかしい思いはしないので、なんだかんだ気に入っている。

差出人:わっつん
降りたら小早川さんと逢ったから、今から二人でそっちに向かうところだよ。
小早川さんの浴衣、楽しみにして待っててね。

「直人。今のメールは若林から? それとも千尋から?」
横にいた理沙が体をくっつけ、俺のスマホを覗き込む。
「うん、わっつんから。って、ひっつくなよ」
理沙を無理矢理引き剥がすと、プールで泳ぐ時は束ねているウェーブのかかった茶髪がたなびき、ふわりと宙を舞う。
と同時に、柑橘系の甘酸っぱい芳香が、ほのかに匂った。
普段はガサツだから、こういう細かいところで、理沙から女らしさを感じた。
ビンテージ物のワインを飲むソムリエみたいに、思わず目を閉じ、五感を研ぎ澄ませて、ゆっくりと味わいたくなる香気。
しかし、ここの雰囲気がそれを許さなかった。
彼の逞しい腕に抱きついて、満面の笑みを浮かべる少女。
ぎこちない表情で手を繋ぐ、まだ初々しさの残る男女。
道行くカップルたちの間には、濃密な二人きりの時間が流れていた。
相手が既に彼女なのか、あるいは女友達なのか定かでない。
しかし、互いを見つめる視線はどこか熱っぽく、あと一歩進んだ間柄になることを望んでいるのは確かなようだ。
この空気に飲まれると、俺は彼女と築いた『男女の垣根を超えた親友』という関係性を壊してしまいそうで、それが恐ろしかった。
「しかし、ホントに季節感ねーよなぁ」
俺は、普段のように軽口を叩く。
白のタンクトップに青のジーンズと、理沙は身体のラインがはっきりと分かる服装だった。
興奮するのかもしれないが、水泳部で見慣れているから、新鮮味はなかった。
それに鍛えているから、女性らしい丸みがない。
平均的な女子の二の腕をシャープペンの芯に例えるなら、理沙の二の腕は鉛筆の芯だ。
長身かつ、骨太で筋骨隆々な体格。
よく言えばモデル体型。
悪く言えば、男の求める普遍的な女性像からかけ離れた体型。
「直人に言われたくないし。もしかして、私の浴衣が見たかったとか?」
得意満面に理沙が言う。
中学の頃から、季節に合わせて衣服を変えるところなど見たことがない。
もしそんなことが起きたら、天変地異の前触れなのではと考えるだろう。
「いや、いいよ。見返りを求められそうだし」
「どういう意味よ、それ」
「そのままの意味!」
興味を持った相手に勇気を出して、話し掛ける。
それから徐々に会話を交わすようになって、数回デートしたら、機を見て告白し付き合う。
それが、一般的な男女の自然な成り行きなんだろう。
けれど、一度ヒビが入れば、友達には戻れないのだ。